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文科系アウトドア派のんびり遊楽人

映画クロサギと神曲地獄篇第34歌

February 8, 2009
先達ウェルギリウスに導かれ、ダンテとオレは地獄の第9の圏谷の第4の円までたどり着いたのだ。

地獄の圏谷を下るたびに、多くの偉人や知人と出会い、現世での自分自身の罪を問いかけながら、これからの人生を如何に生きるかを考えていくために、神曲を与えられたようにオレには思われた。

※以下、口調をダンテ風、文章を神曲に合わせた内容にしてみます。



ああ、そして、地獄の底の第9の圏谷には、恩人を裏切った者たちが全身を氷漬けにされて、悪魔大王に噛み砕かれるのを恐怖に慄きながら永劫のときとともに待っていた。

地獄に落ちた者の最も重い罪が「裏切り行為」とは、人は一人で生きることはできず、他人と共に生きることが求められている。そのため、相手への信頼への裏切りが窃盗、偽善、貪欲、虚偽、ほかのいかなる罪より深いことも、神との契約、相手との約束の重要さを思えば容易に頷けるところであった。

そして、地獄の帝王である悪魔大王、神に反逆するまえには最高の美を称えられた堕天使ルシフェルの3つの頭のそれぞれの大きく裂かれた口の中には、ユダとブルトゥスとカシウスが今まさに噛み砕かれようとしているのだ。

ダンテとオレが地獄の底で最後に見た罪人がローマ帝国の帝王カエサル(シーザー)を裏切ったブルトゥス(ブルータース)とカシウスだ。



今夜WOWOW放映の「クロサギ」は善人を騙すシロサギとそのシロサギを騙すクロサギの物語だ。

そして、物語の最後に「シーザー」と「ブルータース」がキーワードとして登場するのじゃ。

相手を信用させて、最後の局面で相手を騙し、地獄に落とす。いや、騙された者は現世で貧困の地獄を味わうのであるが、それでは地獄に落とした詐欺師は天国に昇るのであろうか。

裏切ることにより富を得たシロサギは、常に騙されることに対する恐怖を抱き、また、実際に最後には自分も騙されることで地獄の気持ちを味わうことになる。

つまり、騙された者よりも奥深い永劫の呵責に生きたまま囚われることになるのだ。

そして、ダンテの神曲の地獄の世界では、最も重い罪を背負い、悪魔大王に食われることになるのだ。



映画クロサギではオセロの対局場面が何度も登場し、オセロの打ち方と詐欺との関連、人生の進め方を表していた。シェイクスピアのオセロとダンテの神曲も多くの解釈、意味が絡み合っている。

そういう意味から、オレが神曲地獄篇を読み終えた直後の今夜、映画「クロサギ」を観たことに、オレはシンクロニシティ(意味ある偶然の一致)を感じるのだ。



神曲煉獄編の解説に芳賀徹氏が書いている。引用する。

「ダンテの「神曲」全百歌を、地獄篇から煉獄篇をへて天国篇へと読み進めるうちに、読者の身と心のうちには得体の知れぬ疲労困憊の思いが大きくなってくる。」

まさに、地獄篇を読み終えたオレの疲労困憊を映画クロサギが補完してくれ、そして、その疲労の元である毒素と混乱をこのBlogを今このようにつらつらと打つことによって癒しているのだ。



今、ウェルギリウスとダンテとオレは地獄篇の第34歌を通過した。

<円い孔から天井にある美しいものがもう見えた。そこを通って私たちは外へ出、ふたたび空の星を仰いだ。>

オレたちは地獄から抜け出し、次に煉獄の世界を訪れることになる。

そして、今、気がついたことがある。

映画クロサキの主人公は自ら堕天使となり罪人を裁こうとしているのかもしれない。

自らの身を地獄の底の悪魔大王の地位まで落としてまでも・・・。



神曲とデビルマンの関連を次に紹介しようとしているTackeyでした。


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